<伝わる>こと
世代を超えて地域の知を伝え紡いでいくことを考えるとき、伝える相手には地域の若者や子どもを思い浮かべます。生業が土地に根差していた頃、子供たちは農作業や山仕事や暮らしの仕事を子供たちが手伝ったり、仕事の真似事のような遊びをすることで、仕事への憧れが自然に伝承されていたのではないでしょうか。今では、郷土資料館などの博物館や、学校での地域学習を通して、地域の知を紡ぐことが試みられています。
筆者(山下俊介:北海道大学総合博物館)が15年ほど前に調査に訪れたエチオピア西南部のスルマ[Surma]地域では、牛の牧畜を生業としていました。男の子は牧童となり、放牧キャンプに寝泊まりしながら牛の世話をします。ある年齢になると自分と同じ名前を持つ牛を与えられ、自分の分身のような特別な牛として生涯世話をします。牛は婚資にもなっていましたので、結婚し家族を持つ大人には十分な数の牛を持つことが求められ、また沢山の牛を所有することが立派な大人の証にもなっていました。
放牧キャンプや放牧路の岩肌には、牧童たちが牛の糞や灰で描いた牛の絵が数多くのこされていました。(自動車の絵もごくたまに見られましたが、牛に比べると落書き風の趣です。)子供たちは泥をこねて牛の小偶も造っていて、立派な角とこぶをもつ牛は子供たちの人気のモチーフでした。こうした立派な牛への憧れは、立派な大人になろうとする子供たち自身の姿を重ねているようにも見えましたし、また、大げさに言えば、その社会の価値観が継承されていく瞬間の記録にも見えました。
随分昔に描かれたと思われる薄く消えかかっている絵もあれば、まだ新鮮な新しい絵もありました。当時,その地域には小学校が建設中で、子供たちの憧れの対象も次第に変わっていくことが想像できました。当地の子供たちが今もまだ牛をモチーフに絵を描いているのか、また確かめてみたいと思っています。
牧童たちが描いた牛の絵。立派な角とこぶを持つ牛。(2004年12月30日 撮影)
〈伝わる〉で思いされるのは民俗学者の柳田国男です。柳田は昔話の伝承についての一文に「昔話の管理者はかなり久しい以前から、老人とその孫たちであった。」と書いています。特に夕暮れ時、働き盛りの両親は容易には終わらない労働に勤しみ、家にいる祖父母と子供たちの間で昔話が紡がれていった、と柳田は想像しています。(柳田国男『野鳥雑記』)
核家族化が進み、老若男女問わず余暇の時間も忙しい現代の私たちにとって、世代を超えて共通の時空間と関心事を持つことは容易ではありません。筆者らは、地域のさまざまな知を映像等により記録・蓄積し、インターネット等のICTツールを活用したりしながら伝え、学び楽しんでいく活動が、そこに関わる人々(私たち研究でお邪魔する者も含めて)の豊かな生活に繋がるのではないかと考えて取り組んでいます。
私はまず、地域の知を将来担う子供たちが現在どのように余暇時間を過ごしているのかを知りたいと考え、学校や郷土資料室等の協力を得ながら現在調査を進めているところです。
士別市朝日,居酒屋ABCさんの店内に飾られている先代の岡持ち (2020年2月3日 撮影)
過ぎ去った人々の活動や暮らしを想像しようとするとき、五感を通して捉えられる物理的なモノの存在は出発点になります。モノをのこしつつ、映像や写真を用いて存在を広く発信し、そのモノのもつエッセンスを皆で語りながら学んでいくことが、地域の知を伝承する方法の一つだと考えています。
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